半世紀以上 65年前にサクラ の花見をした時の家族写真です
私は末っ子で幼稚園生でした 
         幼稚園


何故か幼い時からこのサクラの樹にはお世話になっている気がします
円山公園の入口近くにあったんです 小さな時の遊び場 
スポーツマンを志していた小学生・中学生 高校生 
常に側にいて見守ってくれていた心に残るサクラの樹です

町の写真館が毎年同じ場所で記念写真を撮ってくれたものが何枚かあって 今でも大切にしています
父と母 は当然他界していますが 現在90歳の姉上様も元気 もう1人の姉・兄共に健在で
いまだに弟が気がかりなのか様子を見に来る事がありますが 私は ちゃん付けで呼ばれます
この写真が存在する限り あまんじて受けます すすむちゃんを

この時代の日本は経済を立直す事が中心の生活だったので 休日が少なく
お花見や海水浴などが年間行事の中で大切なメーンイベントだったんです
大勢の札幌市民が円山公園から札幌神社(現在の北海道神宮)あたりまでの広場で 
お酒や弁当を広げて1日をゆっくり楽しんでいました


        1年生


小学1年生 入学式を終えてからの記念写真ですが 
今と変わらない手の形には私自身がびっくりしました
当時各家庭にはかならず といってもいいぐらい天皇陛下の写真が貼ってあり 
腰にサーベルを下げていたんです 子供の間では大流行でした
ヤンチャだった私は 担任の女性教師にコッペパンとあだ名を付ました
戦争に負けた影響もあったと後に知る訳ですが 
学校給食は 1年生の私達には大き過ぎる位のコッペパンだったんですが
そのパンを先生は あっという間に2-3個も食べる様をみていて
あだ名をコッペパンとしたんですが  
後に大変キズついていた事を知ることとなり 大変申し訳ないことをした
小学校も高学年になるとスキーや魚釣りで野宿する事は当たり前 家出する訳ではなく
好きな事を好きな場所で何日も納得いくまで経験する 小さな自由人といったところでした
その頃家族や親族は私の事を トン様と呼んでいた 
仕事をしていた20歳ー40歳の頃に仲間は なぜか殿と呼ぶようだった
何かを始めたり 言い出したりすると曲げる事が出来ない性格を見抜いた人達が
あきれて付けた あだ名のようだが 1年生ながらその兆候が見えそうな写真なんです

当然ながら家にも近所にも犬が大勢いましたが 
日本犬以外の犬を初めて見たのは小学3年になってからで 自分で世話をする事になったのは
イングリッシュ セターだった 名前はヒーポー毎日学校へ一緒に登校していた
犬との楽しい生活は当然ですが それ以上に教わる事も多くあり
幼い頃に作られた私の性格形成を冷静に分析すると 
犬との生活や付き合いから強く影響をうけた事は確実です
犬には私が必要で 私には犬が必要だったんです 魚釣り場に向う私の自転車から離れず
草むらに隠れるようにしながら釣竿を操っているときにも 私と同心になっているんです
魚が釣れて草むらに置くと バタバタしている魚を手で押さえて飛んでいかないように
見張りをしました 私と同様うれしそうな顔をしています
私達と犬は一本のリードで心を通い合わせていて 逃げていかないように繋ぐ道具ではないんです
大切な家族 ある時には兄妹や親友 また先生や師匠となってくれました 
ヒーポーを思い出します 
現在ではミルクが私の心の介護をしてくれているような気がして
犬との生活をもっと大切で貴重なものと考えなければならないと思います。


_DSC2468


小太郎からゴッドマザー小夏そして今も私の親友の貫太郎 彼から学ぶ事の多い毎日ですが
なるべく一緒にいる時間を多くしています 気が繋がっている気 がしますから
カンちゃん互いに励ましあって長生きしような。


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