私達が40年前に一般道路を走っていた愛車です
gsx750


オートバイが熱くなったエンジンを冷やす方法には空冷・水冷方式があって
現在の自動車はほとんどが水冷方式を採用しています
30年前にオートバイメーカーのスズキが油冷方式のエンジンを開発した
そのエンジンをチューニング・メーカーとして世界的に有名だったヨシムラは
エンジンをさらにチューニングして750CC 1000cc のエンジンとフレームの
補強をして国内で行われた『鈴果8時間耐久レース』に参加して圧勝した
チューニングのヨシムラが油冷を使い出した 夢のようなエンジン開発と
チューニングの神 世界の吉村ゴッド・ハンドと呼ばれていた おやじが
手を結んだ の報道に私は興奮し身震いをした事を覚えています
すぐにオートバイを購入 エンジン他のチューンニングをヨシムラにお願いし 
カウリングその他 一般公道を走れる最低限の部品を付けてくれる事を
お願いしてヤジマ・エンタープライズにグラスファイバーで仕上げた
1品ものをお願いした ヨーロッパの高速道路の右側 最高速帯を
ポルシェやフェラリー等と同等のスピードで走り カフェレーサーと
呼ばれるようなものを想像して製作したんです 

カウリングはグラスファイバーですからカーボンよりも重くなりますが
手作りですから細部まで気に入るものができる事とペラペラではないので
丈夫で安定しています 燃料タンクは本番のレースに使用するものですから
軽くできています しかしオートバイの場合低重心が高速走行では
不利になりますが燃料タンクはバランスの取れた重さが必要な事は物理を
考える上で当然なんですが見栄えやスタイルへのコダワリがありました
同じ750yazima.yosimuraのオートバイは2台製作して 妻と (現・副園長)
私が40歳から43歳 山形・長野・大坂・東京 仕事道具を先に送り
気にいった2台のオートバイで札幌から走り回りながら楽しみました 

ある日 銀座1丁目の表道路にある ニコン報道機材課に呼ばれていたので
オートバイ2台で出向いた 
一階は『銀一』ギンイチ と言われるプロ専用機材とフイルム貯蔵庫は
アジアで一番大きく 私が使うフィルムKR64を年間1500本位もストックして
置いてくれるお世話になっていた処で その二階がニコンの報道機材課で
世界中の登録プロと連絡を取り合っている本部である
そこから表道路を1丁くらい歩くとニコンサロンと言う写真などの展示会場がある

サロンの前に停めておいた私達のオートバイの周りに人だかりで
白バイの2人もいる何があったのか?
せっかくご馳走になった食事もノドから飛び出すようなビックリだったが 
珍しいバイクなのでオートバイ好きな人達や
白バイの方もやはりオートバイが好きなんですね 色々質問が多くて 
ブレーキのメーカーとパットは? フロントフォークの圧はどの位にするのか?
専門的な事を言っていましたが 札幌に帰る時には安全運転でお願いします と
言い残していった 
当時としては許される事の無い改造車を 逆に感心してくれていた 

30年前にはまだ現役で 国内の仕事を慌しく忙しい毎日でした
大切なオートバイをホテルに預けて 2-3日だけ遠方に行き仕事を済ませてから
またオートバイにて次の仕事に向う毎日でしたが 多くのオートバイ愛好者と
知り合いになりました 類は類を呼ぶと言いますが匂いで感じるんでしょうか
オートバイを大切に泊めてくれるホテルや その交渉をしてくれたりさまざまな
相談をし合ったり日本中に大きな輪・和ができてしまいました
 

いつでも大好きな趣味と仕事を結びつける事ができるだけの研究を深くしながら 
ある時には自分の力だけで または知人の力を借りてある程度の完成がみえてから 
タイアップ 共同で 独自で と楽しく嬉しく仕事をしていましたが
ある意味で 真剣・本気で遊び 幾つ極限まで知り尽くす事が出来ているのかが
のちの想像と創造ができる事に繋がるのではないのかな? と思ったりします

このオートバイに乗ることができるまで仕事をするが 乗れなくなった時が
現役の仕事を引退する時と決めていました 
45歳の時にある方達にオートバイをプレゼントしました 
このオートバイの写真は この1枚だけでしたがアルバムに挟まっていた写真が
突然出てきたので懐かしくさまざまな事を思い出します 



まだ高校3年生です
カワサキ


53年か54年前の私です 
現代と違い自動車が少なく 仕事をするのにもオートバイの後ろにリヤカー
と呼ばれる大きな荷台2輪車を伝げて使用する事もある時代でした
オートバイの販売店も日本中に多くて メーカーも総ての広報費を
レースに注ぎ込んでいました
ヤマハ・ホンダ・スズキ・カワサキ・さらに4社以前より東京発動機は
素晴らしいマシンを作り続けていて 中学生だった私に特別な工場レーサー
今で言うと ファクトリーマシンを使わせてくれて初レース参加
タイヤ・メーカーで有名なブリジストンもオートバイを作りレースに参戦
していて プライマリー機構のエンジンが軽量高速回転だったので
他メーカーを圧倒した事もあり 
ファクトリーチーム名はイエローヘルメットと言い私もその一員でしたが
詳しい事情は解りませんが ある日突然レースから撤退してしまいましたので
以前からお話があったカワサキに乗ることになりました 
チーム名はカワサキ・コンバットと言うんです
当時は毎週のようにレースがあって かなり田舎の方にまでメーカーの広報
が大切だったのでレースが行われていました 学生の私は月曜から
木曜まで学校にいて金曜の夜にはレースが行われる地方にいてレースが 
終わる日曜には札幌に戻ったりしていました 冬はスキーで学校に
行けませんし 魚釣りも大好きでしたから 従って中学・高校・大学名は
恥ずかしくて言えません
当然なんですがオートバイメーカーとはプロとして契約していましたし
上位入賞にはボーナスがプラスされるので 学生の私にはとても刺激でした



高校1年生の頃
ブリジストン


ブリジストンのチーム監督が私をファクトリーチームの一員として
資格があるかどうかの為のテストをしてくれた時の写真です
このフォームは逆ジャンプと言われますが スキー等では通常なことです
しかしフロント・フォークが現代の物とは性能が違いとても勇気と
テクニックが必要だったんです 
たしか 北海道・旭川の旭山スキー場でレースが終了した直後だったと
記憶しています  下りの一走りだけでテストは終わり契約選手となった
思い出の写真ですが

突然古い それも思いもよらない写真や手紙を見つけると一瞬固まります 
若い頃に戻りたいと話している方もいますが本気ですか?
肉体だけ はズルいです 写真は楽しい事も悲しかった事も映しますが
なるべく 楽しく・美しい思い出を沢山撮っておきたいです