1982年の写真です
35年前 家を出たら帰る道のりが面倒なので 近くても遠くでもシバラクは出っ放し
糸の切れた凧のごとく フラ・フラ ぶらぶらしているのが気に合っていた
もちろん大切な仕事が完了した後の事だが
半世紀(50年前)前にヨーロッパへ行く飛行機はプロペラ機で2日間はかかったので
次の仕事をするまでの間 日本に帰るかどうかは考えるところだったんです
その当時の事なので 飛行機は日本航空のみで便数も少なく
初期の頃はプロペラ機で音がうるさく 赤道上を飛ぶ南回りのみで各国停まり
その国で給油をするのが通行税がわりだったのか?
1ドルは360円の固定式時代で 日本から持ち出せるお金は一人5万と制限があり
長期滞在するには生活費が不足するので 誰もが腹巻に日本円を隠し持ち出していたんです
35年前には1ドルが260円位になり 糸の切れた凧は少し楽になったはず なんですが
そんな凧に いよいよ頭にきていた人が居て、ついて来てしまい
24時間体制でピッタリ・マークされる事となりました
凧にはしっかりしたロープが付けられ 現在も凧にはきついマークが続いているんですが
凧にとって 上の写真は深く色々な面で思い出がある1枚なんです
写真の左は私 右は現在の副園長 場所はミュンヘン(ドイツ) 撮影 写真家 志賀仁郎氏
ビヤホールへは毎日通つていたが しばらくすると常連となり座る位置が決まる
それで友達ができる事となる 一緒にジョツキーを空けている毎日が続くと
知人からそれ以上の間柄となり 生活や仕事面で助けられる事が多くあった事なども思い出す
ビールを沢山飲んで帰るところを 同行していた志賀zinさんがスナップショツトを撮ってくれた
すっかり仲良しになった ビヤホールのウエイトレスさん
フロアーは彼女の権限で常連客の座る椅子が決められキャツシャーも兼務していた
生の大根を薄くジャバラ切りする名人で ウインナーと交互に食べると体に良いと教えてくれた
上の写真から35年経ちました 今年5月の写真です 変化があるのは座る位置だけで
なにも変っているところがありません オートフォーカスのカメラを壁にピントを合わせるとは
なんともニクイ・サービスであり名カメラマンです
年に2-3回は函館まで慰問に来てくれる 産まれた時 1歳の頃までは会うたびに
オシメ 現在はパンパースでしょうか? 私が取り替えていました
子供の頃からの親友の次女なんです もちろん写真左です
普段は病院で栄養面をみますが 今回は私達の食事内容等を指導してくださいました
なにを言われても カワイイ我が子のような存在の人が言うことですから 素直に聞きます
化粧品や健康食品のコマーシャルには 使用前・使用後等 との写真とか言葉が使われますが?
私は朝から夜寝るまで 犬達の事を考えて勉強・研究を続けている進行中
前でも後でもなく現役です がんばるんです。