1970年の事は スピード化現代では相当昔のことです。

私の起床は 普通の年寄りより少し遅くAM9時頃
11月7日の事でした 
寝室のドアが鋭い音 をたてて開いた
「お父さん電話よ」  私は  「どうしたんだ」 と大声をだした
普段無いような特別な事が 何かあったなと感じた 
瞬間に壁に吊るしてあるアナログ時計を見ると
7時00分 ベットの中で電話をとると
「ごぶさたしてます 中村準一です」 といわれる。
今日の夕方頃に伺ってもよろしいか
どうぞ お待ちしてます 何か特別な事がありましたか?
いいえ お顔を・・・・・・
そして夕刻1台のタクシーが犬舎の歩道側に停まった。



中村氏

オートバイとスキーは高校を卒業すると同時にメーカー契約選手だった
札幌オリンピック(1972)はプロ・アマ問題が大きく取り上げられ
カール シュランツ(オーストリア)は世界選手権チャンピオンだったが出場
できず帰国してしまった事で その後のスポーツ界を少しづつ変えていく事に
なったのは有名な話です
その年より3年連続を含めて8年間 全日本スキーデモンストレーターのトップ
を取り続けていた時期に中村氏と知り会った
まだ若かった私の内弟子第一号となった彼とは朝から夜寝るまで
食事 トレーニング 遠征 総て同行する事となったが
年齢が近かった事もあって兄弟のような存在だった 気がつくと大会での
順位が私のすぐあと つまり2位以下18人が総て弟子となっていたので
若くして私は現役選手を引退 中村氏はグループのリーダーとなった過去がある

30代には観光ホテルのオーナーとなり 娘夫婦がいるので
現在はゆったりペンションやロッジを運営している 大型犬も泊まれるとのことだ

中村氏の顔をみるのはひさしぶりどころか40年ぶり いや35年かな
会った瞬間  言葉がでないまま握手した 何分経っただろうか
目線は互いに芯をはずれなかった
ただ目頭が熱く 涙が止まらなかった それは若かった時代から現在迄の間が
簡単な人生ではなかった事を意味する分も含まれていたからだろう

若かった頃の出会いも素晴らしい事だったが
今日の再会にはもっと深い意味と内容があった
一言では言い表せないが 確認できた事は 同じ感性を持つもの同志だった事
彼は約1時間程しか居れず待たせていたハイヤーに乗り 
東北地方へ行くと言い残し別れた
昔話をしたわけでもない ただ顔を見たかった
いや 目を見たかったんだろう つながってるか どうかを知りたかったに違いない
私はいつでもつながっている。


つながり

犬舎のお母さんとも 随分長くつながっているし
小太郎爺ちゃんとは18年になる
在犬している全員とつながってる
つながっているとは 自分の足跡のようなものかもしれない
糸を巻き取るとすぐ近くに寄る事もできる
私は犬達とリードでつながっている。




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